2008年11月11日
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日本映画界でもっとも成功した華人女性プロデューサー。

※記事の一部は「Chamore」2008年4月号より転載しています
                           
李珍

向学心から留学を決意。
やがて文化交流の仕事へ 


 李珍さんが日本留学の夢を果たしたのは、20代も半ばを過ぎたころ。80年代前半の中国人の若者にとって、日本への留学はまだまだ狭き門だった。
  「当時はどんなに強い決意で目標をたてても、夢の実現が難しい時代でした。しかし環境に圧迫されても、それを克服しようとするのは人間の本能でしょう。順風満帆に生きていたら決意すらできません。逆境の中で努力することが大切だと思います。」
 留学して二年目、ハングリー精神に満ち溢れていたこの若き中国人留学生に、やがて運命の出会いが訪れる。
 「知人から紹介され、NHKドラマ部でスタッフのみなさんに中国語を教えるアルバイトを始めました。まじめに勉強をしない方には厳しく注意もしましたね(笑)次第に色々とお仕事も手伝うようになりました。中国のテレビ局から送られてくる書類を翻訳したり、翻訳を務めたり。それがいつしか私自身の仕事になったのです。」
 当時NHKは中国の国営放送局・CCTV(中国中央電視台)とテレビドラマの共同製作を開始していた。1995年には山崎豊子原作『大地の子』をドラマ化する話が持ち上がり、李珍さんはNHK側スタッフの一員として何度も中国へ通うことに。
 「私はこのドラマのストーリーが大好き。日中の国境を越えた親子の愛情に心から感動しました。中国現地での撮影は困難に直面する事もありましたが、CCTVの理解と協力も得られドラマは完成しました。私はこの仕事を通じて、テレビ業界の皆さんに育てていただいたようなものです。」
 撮り終えたドラマは日本で大反響を巻き起こす。その後も両テレビ局のコラボレーションは続き、NHKスペシャル『新・シルクロード』など多数の作品の制作に関わる日々を送る。やがてゼロからスタートしたコーディネーターの仕事も、活動の場は民放各局にも広がった。
『東京ラブストーリー』『ロングバケーション』『電車男』など数々の日本でヒットした話題作を、日中間のエージェントとして中国各地のテレビ局へ販売した。
「70年代の中国人が日本の姿を知ったのもすべてテレビドラマのおかげなのです。高倉健さん主演のドラマや『おしん』を見て育った中国の人たちが、今では各地の放送局の幹部になっています。私も日本と中国の友好を築くため、映像の分野で文化交流の仕事を続けたい。それが私の願いでした。」
 李珍が関わった多くのドラマは、今も日本の流行文化を中国の若者たちへ伝えている。最近では中国の最新テレビドラマ『新・上海グランド』もテレビ東京で放送され、中国で爆発的な人気を得た本作品は日本放映後でも華流ブームへ徐々に火をつけ始めている。今度は等身大の中国を、日本へ伝えようとしているのだ。

情熱を失うことなく、さらなる飛躍へ
 
 この10年間、テレビドラマだけでなく映画界での仕事も手がけてきた。中国映画『きれいなお母さん』(99)を買い付け、日本での公開も実現させた。主演は中国映画界を代表する女優コン・リーである。
 「彼女はとってもい人柄で、素顔はごく普通のかわいい感じの女性。しかし仕事に関しては自分に対して非常に厳しく、だからこそ大スターになれたのでしょう。いま世界の映画界で注目を集めているのは中国映画です。優秀な俳優とすばらしい映画監督がそろっています。チャン・イーモウ監督は尊敬すべき人物で頭脳明晰。チェン・カイコー監督は哲学者タイプで確固たる自分の世界を持っています。」
 世界的大ヒットを記録したチャン・イーモウ監督の『HERO』(02)や『LOVERS』(04)も、日本側映画会社のエージェントとして配給権獲得に尽力した。生き馬の目を抜く業界での激しい競争に勝利し、李珍さんの名前が日本映画界に響き渡った出来事である。
「映画業界での仕事が増え、私自身も映画プロデューサーの仕事をすることになりました。企画を定め、資金繰りに東奔西走。」原作者は中国の現代文学を代表する作家、莫言。監督は『山の郵便配達』(99)で日本にも多くのファンを持つフォ・ジェンチイでした。映画が完成して試写を初めて見たときの感動は、生涯忘れることができません。」
 苦労して作り上げた作品『故郷の香り』(03)は、2003年度東京国際映画祭のグランプリを獲得した。さらには、中国映画界の最高賞と言われる金鶏賞で再優勝作品賞獲得の快挙を成す。
 「私たちの世代の中国人は、人生の先が見えない、レールのない時代に育ちました。道のなみところに道を探したのです。そこには、決意と言うよりも反抗心に近い気持があったのかも知れませんね。人生においてひとつのことを成功させるには、何よりも情熱が必要でしょう。幸運なことに、私は情熱のあるひとたちとの出会いに恵まれたのです。」
 今後、浅田次郎のベストセラー『蒼穹の昴』の日中共同制作のプロデューサーとして参加する予定。また、先日クランクインした『新・上海グランド』の高希希監督が送り出す中国超大作歴史ドラマ『三国』の日中共同製作を手掛けている。




Cーgal日本全国ツアーコンサートに寄せて、、、
                    代表取締役社長 樋口麗子


 私は以前から予定していた出張のため、Cーgal秋全国コンサート終了後、打ち上げ食事会に出席することができなく、上海行きの飛行機に飛び乗った。
2007年1121日は私にとって忘れられない日となった。名古屋でCーgalコンサートの最終公演が無事に終わり、私の胸にたくさんの感動と感謝がいっぱい詰まり、涙を抑えるが必死だった。

 Cーgalは二胡・中国琵琶・笛・箏・楊琴の中国伝統楽器による9人編成のユニットで、その平均年齢が22歳である。200510月にファーストアルバム「天空」を日本クラウンレコードよりリリースしてから、続けて「華夢」・「Cーgal@anime」・「Best of Cーgal」・「海鴎」(会場限定販売)の4枚のアルバムをリリースした。その音楽活動は日本を中心に中国、台湾で展開されている。Cーgal名前の由来は、中国(China)の、女の子(gal)、と英語のカモメ(Seagull)である。日中間を自由に飛び回り、文化の橋渡し役になってもらいたいという意味が込められている。

 今、Cーgalが日本デビューしてから、ちょうど2年になる。この様な新人グループが全国ツアーコンサート、春46公演、秋26公演、合計72公演も敢行できたなんて、とても考えられないことだった。また、すべてのコンサート会場の入場率が90%にも達し、総動員者数8万人あまりにもなる。これは主催側の財団法人・民主音楽協会のすばらしい動員力と日中間の文化交流に対する揺ぎ無い信念と情熱からなると思います。

 私は25年前に来日し、その間ずっと日中間の映像ビジネスに携わって来た。日中間では絶えずいろいろな問題が起こり、互いに漠然として「好き・嫌い」というフィルタを通して相手を見ていたような気がする。相手の本当の姿を確かめるには直接相手の国に行くのが一番いいと思う。Cーgalは春・秋コンサートを通じて日本に110日間ほど滞在した。彼女達が帰国する前に、それぞれからこの様な感想を貰った。「日本のお客さんは世界で一番暖かい!」「日本のスタッフは世界で一番良く働く!一番優しい!」「日本の街は綺麗!」「お寿司美味しい!」「マツキヨ大好き!」これらの一つ一つの素直な気持ちを見て、私は本当に感動した!日中文化交流はスローガンに掲げるだけではなく、このような飾り気の無い素直な気持ちこそが大事だと思う。私はこう信じる、彼女達が見て・体験した日本をそのまま中国の人に伝える事は何よりも価値があることと。

 この場を借り、C-galのメンバー達にこう伝えたい。今まで、本当にお疲れ様でした。本当にありがとうございました。また、主催者の民音に心より感謝を申し上げたい、そして、陰で支えてくれたスタッフ達及び会場に足を運んだ日本の皆様に心より感謝を申し上げたい。

 「Cーgalは世界で一番素晴らしい音楽グループです!」「Cーgalの音楽は最高です!」と言われ続けるため、これからも努力して参りたいと思います。




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